記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

「たのしい写真3 ワークショップ編」(ホンマタカシ)

 アイデンティティは他人との差異である。自分なりに工夫していくことでしか個性は出てこない。たくさんの情報がネットに溢れる中で、個性を出すのは難しい。何かに似た自分から抜け出るのは容易ではない。

 一方で古典を学ぶことは大切だ。ギターを始める時、オリジナルの曲を作る前に誰かの曲で練習するのと同じで、最初は真似から入るものだ。どうせ真似るなら、評価の高いものを真似るのが良い。

 カメラは1870年代には発明されており、250年近い歴史がある。これまでに撮影様式の変遷がいくつかあった。その中で代表的な「決定的な瞬間」と「ニューカラー」だ。

 「たのしい写真3 ワークショップ編」(ホンマタカシ著)では「決定的な瞬間」と「ニューカラー」的に写真を撮ることを指南している。いつも自分なりに撮っていると成長はない。他人のスタイルで写真を撮ることで新しい視点を手に入れることができる。

 

 「決定的な瞬間」はアンリ・カルティエ=ブレッソンが有名。「決定的な瞬間」と言う言葉は誤解されやすいが、報道写真のような事故や事件の瞬間のことではない。どこにでもある風景や人の流れの中で釣り合いの撮れた美しい瞬間のことです。

 つまり、カルティエ=ブレッソンの写真における「決定的な瞬間」とは、事件や事故などが起きた瞬間と言う意味ではなく、目に映る情景の偶然の一瞬の中に、自分なりに面白いと思える「釣り合い」や「構成」や「構図」をいかに取り込むか、ということです。

 私の撮った写真で「決定的な写真」を選ぶと、次の写真だ。

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「決定的な写真」的な写真



 「ニューカラー」はウイリアム・エルグストンが有名。「ニューカラー」の写真は、日常の何気ない光景を写したと言われるが、ホンマタカシの言葉を借りると”中心の無い写真”となる。中心の無い写真を撮るのは難しい。退屈な写真になりがちだ。そうならないための新たな視点が「ニューカラー」には必要だ。

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「ニューカラー」的な写真


 まとめ

 写真を撮っているうちに、被写体の探し方や構図の作り方が固定的になり、変わり映えしない写真が増えていく。古典の様式を真似ることで新しい視野を得ることができる。

 私には「ニューカラー」的に写真を撮ることはとても難しい。私はまず気になるものをみつけ、それを中心に構図を作ってきた。写真に中心、つまり主役を作らずに構図を作るためには、広く視野を保ちつつ被写体を探す必要がある。「ニューカラー」を真似ることで、これまで自分がそのような被写体の探し方をしてこなかったことに気づく。

 

たのしい写真3 ワークショップ篇

たのしい写真3 ワークショップ篇