記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

ヒマワリを否定する

 屁理屈だと思って聞いて欲しい。身の回りの何かを否定することから芸術は始まるそうだ。存在を否定するのではなくて、そのものが持つ特質を違うものに置き換える。

 岡本太郎の坐ることを拒否する椅子もそんな感じだろうか。デジタルカメラは、フィルムカメラのフィルム部分を否定した。ロックミュージックは社会の規範を否定する。まぁ、そんな感じだと思う。

 ヒマワリの丸いという特質を否定して四角く撮ったのが下の写真。これもアートということだろうか?

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四角いヒマワリ

 

 ヒマワリの中心の部分、上の写真ではグリーンの部分はめしべで、時間とともに立ち上がってきます。この部分をどアップで日の丸構図に撮ったことがあります。意外に面白い写真になり、こういうのもありなのかなっと思ったものです。

 下の新聞記事を読んだときに、この写真を思い出すとともに「ヒマワリを否定する」という言葉が浮かびました。
 

初日のお題は毎年決まっている。テーマは「否定」だ。素材は毎年変わるのだが、たとえばボックスティッシュを一箱ずつ手渡す。そして言う。「このボックスティッシュを否定せよ」


なぜ否定? と思われるかもしれないが、あらゆる芸術作品は否定から始まるのである。たとえば彫刻。大理石で裸婦の像を作るなら、まず石が石に見えてはだめだ。目の前の石が、ただの石ではなくまぎれもない裸婦であること。つまり、ある素材を使いつつその素材を否定することが芸術の基本的な操作なのだ。絵画は布をただの布ではなくすることなのだし、音楽も音をただの音でなくすることだ。

 (日経新聞2019年2月5日 プロムナード「ティッシュの否定形」)

 

使用機材

 RICOH GR Digital3

お題「カメラ」