写真の加工はどこまでアリなんでしょう?
Photoshopを使うとなんでもできるように思えます。私はPhotoshopを使ったことはありませんが、Adobeのイベント記事を読んでいるとPhotoshopって本当に色んなことができるんだなぁ、と思います。
むかし、女性の水着写真のレタッチ動画が話題になりました。こんなのを見ていると、Photoshopを使えばどんな画像でも創り出せそうです。
最近Luminarというソフトで遊んでいます。これも色々な加工ができるソフトで面白い。街角スナップや風景写真では、空が大切になってきますが、Luminarは空を瞬時に変えることができます。例えば、下の写真のように。
さて、写真加工だけでなく、写真の自動生成も色々とできるようになってきています。
AI(コンピュータ)が、実在しない人の顔を生成できるということは、モデルさんにお願いしなくても人物写真が手に入るということです。
これは、ポートレートを撮る人にとって良いことなのでしょうか?楽しみが減るのでしょうか?増えるのでしょうか?
モデルさんと会話しながら作品を作り上げていく過程を楽しむという考え方の写真家さんにとっては、楽しみがなくなるでしょう。一方で、綺麗な作品が出来上がれば良いという考え方の写真家さんにとっては、実在の(あるいは費用限界内の)モデルさんを越えた作品作りが楽しめそうです。
こんなことを考えていると、だんだん何故写真を撮っているのか分からなくなってきます。この辺をつらつらと考えてみました。
仕事は人のために、趣味は自分のためにするものですから、仕事で写真を撮る人はクライアントの喜ぶことは何なのか考えることになるでしょう。クライアントが写真の出来栄えが全てというならば、あらゆる技法を駆使することになりますし、写真の作成プロセス(例えば、実際外国の僻地に足を運んで撮ったといった、背景のストーリ)に価値を見出すならば、加工はしないことになります。
一方、趣味で写真を撮る人は、自分の楽しみが何なのか次第でしょうね。加工するのが好きという人もいるでしょう。JPEG撮って出しが好きという人もいるでしょう。もっと言えば、シャッター速度1/125 f値8でしか撮らないという人もいたようです*1。凄いコダワリです。
まとめ
Photoshopを使えば、写真を如何様にでも加工できそうですし、最近のAIを使えば、写真を撮らなくても人の顔を生成してくれそうです。こんなものを見ていると、写真って何だろうね?という気分になります。
なんでもできるからこそ、自分が何のために写真を撮っているかを意識することが大事に思います。
趣味で写真を撮る場合は、楽しいからそうしているわけで、何でもアリにしてしまうと楽しみを失いそうです。毎月給料日に食べる贅沢な食事が、自分へのご褒美で楽しみだったのに、収入が増えて普段から美味しいものが食べられるようになったら楽しみを失くした、という話があります。このように、できることが増えると楽しくなくなる場合があります。
趣味で写真を撮る場合は、自分はどこに拘るか、何でもできる中で何をしないかを決めていくのでしょうね。写真を楽しむために。
*1:写真家の中平卓馬さんがそうだったようです(『たのしい写真―よい子のための写真教室』(ホンマタカシ)より)、露出を変えないのはさぞや不便だったと思いますが、、