記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

旅の空

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旅の空

 お正月に雪国に行ってきました。上の写真は、移動中のバスの中から撮った雪国の空。バスの窓ガラスの色のせいで、ホワイトバランスが狂っていますが、これはこれで良いのだと思っています。

 

 この写真を撮りながら、川端康成の「雪国」を英訳した人の話を思い出していました。

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、

「駅長さあん、駅長さあん」

 明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。

 もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。

「駅長さん、私です、御機嫌よろしゅうございます」

「ああ、葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったよ」

 (川端康成「雪国」)

 

 上の引用真ん中の「駅長さあん、駅長さあん」を、どう英語にしたものか翻訳者は悩んだ。直訳すると"Hi, Station master"なのだけど、これだと娘が「駅長さあん」と言っている雰囲気が出ない。

 これは英語翻訳の難しさを表す話として、確か学校の英語の教科書に書いてあったんだと思うのだけど、結局翻訳者はどうしんだっけ、、記憶にない。だいたい、娘の「駅長さあん」の機微を考える話は、中高生には難しすぎるだろう。

 

 旅の空は、つまらないことを思い出させます。