記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

冬眠生活

 新型コロナウィルスの感染対策のため発出されていた緊急事態宣言が解除されるようです。これで、緊急事態宣言は1月初旬からの2か月半で終わります。

 色々と自粛を求められるこの期間、私は伊坂幸太郎の小説を読んでいました。

 私は、小説は何度も繰り返し読みます。結末はさほど重要ではないから。そもそも小説のプロットは随分昔に出尽くしていて、新しいプロットなど出てこないという人もいるくらいですから(例えば、小説のストラテジー (ちくま文庫) )。大切なのは、どう描かれているか。それによってどんな想像が膨らむか。想像を膨らませることで再度読むときに印象が変わって面白い。

 

 横倒しになり、壁一面に積まれた樽だ。その樽には、小さな栓があり、突起状のそれを引き抜くと、中からワインが流れ出る。まさにその時の樋口晴子も、平野晶の言葉をきっかけに、頭の中の樽の栓が抜かれ、そこから、青柳雅春と過ごした時間の記憶がどっと溢れ出るような感覚に襲われた。樋口晴子は、慌てて栓を探し、ワインまみれならぬ思い出まみれとなった手で、樽に押し込む。ぴたりと記憶が止まるが、すでに零れだしていた記憶の断片は、いくつかの切り取られた場面として、ひらひらと頭の中を舞っている。現像された写真のようだ。揺れ、落ち、時折翻る。大学入学時、はじめて会った時の幼さが残る青柳雅春がそこには映り、また、別れ話を切り出した際のきょとんとした青柳雅春がいた。

小説「ゴールデンスランバー」(伊坂幸太郎)の中で、大学時代に付き合っていた彼氏のことを訊かれた場面で、樋口晴子の頭の中に浮かんだイメージの描写です。この部分は、ひとこと”青柳雅春のことを思い出した”と書いてもストーリーには影響しないのですが、これだけの分量の文字数を使って描いていることが、一読目には不思議な気がしました。しかし2度目に読む時は、この分量の意味が分かった気になり、3度目では、樋口晴子が青柳雅春を唐突にふったこと、それが消化できていないのではと想像します。


 今年の冬は、そんな想像をしながら白日夢とともに冬眠生活をしていました。

 

 

f:id:kota2009:20210318091831j:plain

冬眠生活

 

 さて、上の写真はこの冬に読んだ伊坂幸太郎の小説を置いてテーブルフォトを撮ってみたものです。

 この写真が後から見返す一枚になると嬉しい。

 

使用機材

Nikon D90