記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

何を競っているのか?案外自明ではない。

 

 写真家の内田ユキオさんが不定期で書いているエッセイ「Xにうってつけの日」が好き。抒情的な文章で意を汲み取るのが難しい部分も多いのだけれど、抒情的であるが故理屈を超えて伝わる部分も多い。

 最近読んだ中で、解像力に関するものが興味深い。

もちろん写真は解像力を競うゲームではない。

解像力を競っていないとしたら、僕たちは何を競っているのだろう?

 

 漠然と「映え」を競っているなら、滑稽だ。競争の尺度が他人にあるからだ。他人が「いいね」と思うものが何かを想像しながら、それに沿ったものを写そうとする。その尺度は絶対的なものではなく、常にうつろう。蜃気楼を追い求めるのに等しい。

 

 プロの写真家は、顧客の求める物を提供することが求められる。不自由な立場だ。一方でアマチュアの写真家は、何を求めようとも自由だ。しかし、その分、何を求めるべきか答えは自分の中にしかない。そして、それは人様々で、他人の正解は自分の不正解だ。そういう意味でアマチュア写真家は厳しい。

 あなたの写真は、何を競っているのか?シャッターを切る前に自問自答する価値のある問いだ。