写実的であることは、個性をなくすことだ*1。
カメラの進化は、個性をなくすことだ。
絶景撮影ポイントに出向くことは、個性を無くすことだ。
一方で、個性は大切なのだろうか?
経営学的には、Yes. 差別化の無い所に利益は無い。
最近、カラーグレーディングの流行を見ていると、色で個性を出そうとしているのだと感じます。また、フィルム写真の流行りを見ていると、階調の悪さと色の再現性の悪さを愛でているように思えます。さらに、オールドレンズの流行りを見ていると、収差、つまり画面の流れや解像度の低さを愛でているように感じます。
結局のところ、今どきのカメラとレンズは性能が上がっていて、誰がシャッターを押しても図鑑のような綺麗な写真が撮れて、スキルの差が出ないようになってきたのじゃないかなと思います。明るいレンズを使って開放でピッタリ瞳にピントを合わせるとか、かなりレアな状況でないとスキルの差がつきづらいのじゃないかな。
それで差をつける方向として、画質を悪くする方へ世間が流れている気がする。どう画質を落とすか、それが個性。つまり、lofiな写真で個性を出すようになっている気がする。
印象派のクロードモネが、形のハッキリしない絵(例えば、ウォータールー橋)を描いたように。
別の話として、カメラの解像度が上がるにつれてレンズのボケを使った表現を行うようになっている、という意見もある(下のYoutube)。それは本当に人間の特質によるものなのか、それとも技術の進歩のタイミングがたまたま揃っただけなのか(カメラの画質向上とレンズの大口径化)分離できないけれど、面白い意見だと思う。
上の写真は、雨の街を撮ったものです。私が見たそのときの光景をよく表していますが、これが他人に共感されるかというと、されないのでしょうね。きっと。