記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

木村伊兵衛賞受賞作品展を観て

 第47回木村伊兵衛賞した新田樹さんの受賞記念写真展を観に行った。

dc.watch.impress.co.jp

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 黒い髪に白いマフラーの女の子の写真が有名だ。この写真は何故評価されているのだろう?写真1枚で、その真価を評価することはできない。

 木村伊兵衛賞の選考委員の言葉を読んでも不明瞭だ。

【選考委員のことばを全文掲載!】第47回木村伊兵衛写真賞は新田樹氏が受賞(AERA dot.)|dメニューニュース(NTTドコモ) (docomo.ne.jp)

 

 写真だけでなく、その背景にある歴史と現在の営み、それを表したことに、価値がある。

 1900年頃、日本が不況故に海外に戦争を仕掛け植民地化していったこと、日露戦争で奇跡的な勝利をして、南樺太をロシアから割譲されたこと。日本と朝鮮からの人々が南樺太に住んでいたこと。そして、国に戻ることなくそこに残された人がいたこと。その人々は今なお日本語で生活していること。

 想像して欲しい、サハリンで日本語で生活する人々がいることを。

 サハリンで撮影された有名な黒髪の少女は、日本人と言っても違和感のない雰囲気をまとっている。モンゴロイドという遺伝子レベルの人種だけでなく、サハリンで日本語を使って生活し、そこには日本の文化の残っているであろうことを、この写真は表している。

https://m.media-amazon.com/images/I/41PTDZhstYL._AC_SY75_CR,0,0,75,75_.jpg

 こう考えると、かなり分厚い情報を含んだ写真だ。その情報を読み取るにはこちらにも相応の見識と想像力が必要だ。そして、どうやったって全部は読み取れない、人の一生ではなく、100年以上の集落の歴史がそこに詰まっているのだから。