記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

透明人間になる街

 朝の丸の内を撮影していて圧倒的な違和感がある。カメラを構える僕を、誰も気にしない。誰もカメラを気にしていない。自分のことに一生懸命な様子。カメラを構える僕の直前まで直進する人、カメラの前でも様子を変えない人ばかり。

 まるで自分が透明人間になったようだ。いや、透明人間になったんじゃない、透明人間にさせられたんだ!

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透明人間

 ウェットな話。

 まるで透明人間になったようだ。割とよくある表現だ。これがどれほど孤独を感じるか想像したことがあるだろうか?”都会の孤独”とはステレオタイプのフレーズだし、それをリアルに感じたこともない。TVの話だと思っていた。

 でも、実際、カメラを構えても動じず、カメラの間際を普通に通行する人々を目の当たりにすると、彼らには僕が見えていないんじゃないかと錯覚する。そんな訳ない。ただ無視されているだけだ。通じ合わない孤独感っていうのは、こういう感じなのかと少し分かった気がする。

 キャンディデッドフォトには絶好の場所だと思うけど、変な街!と納得いかない心持が消えない。長年住んでいるのに、今更ながら違和感を発見した。

 

使用機材

FUJIFILM ミラーレス一眼 X-T2

FUJIFILM 単焦点標準レンズ XF35mmF1.4 R

お題「カメラ」