記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

読み返すように見返し撮り直す

 藤は綺麗なんだけど、とびっきりなのはどこだろう?それを探すために、何度も藤を見返す

 

 素敵だなぁっと思った本を、友達に話していて伝わらないと思う時がある。「とても素敵なんだ」「主人公が可愛いんだ」「最後のシーンが大迫力なんだ」など言葉を重ねても、そーなんだー、 すごいねー、面白そーだねー という反応にもどかしさを感じる。

 そういう時は大抵、素敵、可愛い、迫力あると、記号で話している。記号とは、なんにでも使える言葉だ。田中さんは素敵だ。鈴木さんは素敵だ。あの本は素敵だ。この映画は素敵だ。こんどの新製品は素敵だ。みんな記号だ。

 本の感想を記号でしか話せないとき、たぶん本をちゃんと読めていない。あらすじは頭に入っている、作中のキラーフレーズも分かっている、でもそれだけじゃ足りない。もう一度本を読み返すと新しい発見がある。初回はストーリーを追うのに頭がいっぱいで気づかなかった部分が2回目にはみつかる。3回目でも発見がある。そうか、この重要じゃないと思った個所にもちゃんと意味があったのかと。

 

 写真も、本の感想と同じで、記号を写すことが殆どだ。思い込みと言い換えられる。桜はピンク色、藤の花は紫色。間違ってはいないけれど、どんな紫色か思い出せるか?藤ってどんな形なのか絵に描けるか?と言えば怪しい。頭の中に藤とはこういうものっていう記号があって、それを撮っている。

 たぶん、何度も藤を見返して、藤の花には葉はないことや、ブドウみたいに見える花は小さな花の集合であること、藤棚を見上げて眩しいのは花ではなく隙間から差し込む光であること、などなどを発見していくのが大事なんだと思う。

 何度も見ているはずなのに、今年初めて藤の花の形を意識して見た。こんな形だとは知らなかった。

藤の花の形

使用機材

FUJIFILM ミラーレスカメラ X-T2 

Viltrox 85mm F1.8 II XF STM