記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

写真撮りが「テート美術館展 光 --ターナー、印象派から現代へ」を見に行きました

tate2023.exhn.jp

 

 国立新美術館で「テート美術館展 光 --ターナー、印象派から現代へ」を見に行きました。混んでました、チケットを買ってから入場できるのに30分待ちでした。混んではいますが、写真撮りの人は、見に行くと面白いと思います。

 

 日本の浮世絵は光を描きません。つまり光を書かなくても絵は成立します。それなのに、光を書こうという発想をしたこと自体に注目が必要です。

葛飾北斎(パブリックドメインhttps://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ejiri_in_the_Suruga_province.jpg

 

 絵画は元来宗教画から始まりました。絵はもともと、キリスト教を広めるための道具でした。

 キリスト教では、光は神が作ったものです。そのため光は善の象徴です。

神は言われた。 「光あれ。」 こうして、光があった。

(創世記)

 善なる天使は明るく描かれ、悪なるものは暗く描かれることが、この展示会を見ているとよくわかります。昔は、絵とは見たままを描くものではなく、キリスト教的なメッセージを伝えるために光を描いています。

 

 この展示会で年代別に絵を見ていくと、絵具の進化が表現に影響していることが良くわかります。昔は、濁った色の絵具しかありませんので、さわやかな光など描きようがありませんでした。絵具が進化し、鮮やかな色が出せるようになると、光の表現も洗練されていきます。

 

 写真を撮っていると、光の明暗差だけでなくその方向も意識します。順光であれば彩度が上がり物体表面のテクスチャも強調されますし、サイド光では立体感が強調され、逆光は物体の輪郭が明るく浮き出ます。また、逆光で撮ると幻想的な印象や背弧トラストの写真になるなど見た際の印象を変えることができます。

 光による色彩や印象の変化を研究したのが水連で有名なモネ。モネは自宅に池を作って水連の絵を何度も書いたようですが、光の変化による見え方の違いと絵画表現を熱心に研究した人でもあります。逆光で撮った写真のようなフワフワ感のあるモネの絵は、彼の研究の成果です。

 【光が溶け込む印象派絵画の巨匠、モネ [アート・美術展] All About

 

 展示の後半は現代アート、インスタレーションでした。現代アートは視覚芸術ではないと私は思っています。既成の概念の枠を超えようとする運動です。そのため、作品を見るだけでは訳が分かりません。今回の展示では、インスタレーションの説明が少なく、制作意図が分かりませんでした。

 

まとめ

 写真を撮っていると、光を強く意識します。それに比べ、絵画では光を描かなくても絵としては成立する。それでも敢えて光を描こうとした画家が興味深い。

 善なるものを描くときその表現として光を描く時代は、物理法則を無視してメッセージが表現されていて面白い。印象派の時代になると、見たまま光を描くのではなく光の効果や影響を描こうとしていることがよく分かります。

 会場では一部写真撮影OKだったので、撮った写真も載せておきます。

 下の絵は、ソール・ライターの写真のようで面白い。リフレクションを描いたのだと思います。

ソールライターの写真のようだ。光を描けと言われるとこうなると思われる絵

 

 下は現代アートです。床に影が落ちていて、光の表現としては分かるのですが、だから何?って私は思いました。現代アートは美しさを狙っていないこともあるので、仕方ない。何を狙ったものかの説明が無いため、私には理解不能でした。

現代アート。だから何?って私は思う