記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

メッセージ性のある写真

 他の人の写真を見るのが好きです。撮り方の勉強になるし、何よりも楽しい。みなさんの撮った写真を探してブログやinstagramを徘徊しています。

 instagramでは、ポートレートをよく見かけます。instagramの表示アルゴリズムのせいなのか、ポートレート写真が「いいね」をたくさんもらえるジャンルであるからなのか、理由は分かりません。たくさんのポートレートの写真を見ていると、これは難しいジャンルだと思います。写真のバリエーションが少ないから(どれほど少ないかはinstagramを#ポートレートで検索して欲しい)。女の子の表情(笑っているorアンニュイな表情)、シチュエーション(道or植物or家の中)、ボケ(前ボケor背景ボケ)、の組み合わせで構図を作っていくのでしょう。バリエーションをつけるためか、たまに不思議なポージングをしている写真も見かけます。

 ブログを徘徊していると、メッセージ性のあるポートレート写真をどうやって撮るか悩みを記した記事をみつけました。記事の中で、「モデルにメッセージ性のある写真が撮れない悩みを話したら、数時間のお写歩でメッセージ性も無いだろうと笑われた」とあったのが印象的です。

 

 ところで、メッセージ性って何でしょうね?写真の解説を読んでいると、メッセージ性・ストーリ性・関係性などの言葉が出てきます。そのたびに、メッセージ・ストーリ・関係ではいけないのかなぁと思ったりします。たぶん、個々のメッセージを問題にしているのではなく、メッセージにまつわる様々なことを包含してメッセージ性と呼んでいるのでしょう。

 さて、色々なものを含む”メッセージ性”を捉えようとしても、それは難しくて捉えきれない。ならば、メッセージ性を因数分解して小さな要素に仕分ければ、分かり易くなるのだと思いつきました。それは、お前は”人間性が良くない”と漠然と言われても困りますが、人間性というのは素直さと向上心と粘り強さがあって、おまえは向上心が足らないと言われた方が分かり易いのと同じ理屈です。

 

 メッセージ性を私なりに分解していくと

  • メッセージの中身(What)
  • メッセージの表現方法(How)
  • メッセージの強さ
  • メッセージの解釈の自由度

に分けられると思います。

 この中で、メッセージの中身は、撮り手が決めるしかありません。それが自己表現ですから。動物写真家の岩合光昭さんは、ネコを最も身近な野生動物として撮っているようです。これもメッセージです。半田菜摘さんは、野生動物をそれが血だらけであっても美しい姿として撮っています。自分独自の表現ではなく、流行りのメッセージにのっかるのもありでしょう。ジョンレノンのLove & Peaceというメッセージに多くの若者がのっかったように。

 メッセージの表現方法は、テクニックとアイデアの話でしょう。写真は無いものを表現できないという性質上、換喩として表現するのが一般的な気がします(換喩については名著「レトリック感覚 (講談社学術文庫)」を読んでください)。青山裕企さんが、女子高生を記号として撮っている方法が、分かり易い例です。男子なら感じたことがあるであろう、ドキっとする瞬間をああいうテクニック(「ガールズフォトの撮り方 新しい構図」を読んでください)で撮っています。

 メッセージの強さも大事です。メッセージを強くすると写真が単調になり、他の撮り手と似てきます。メッセージを弱くして、こっそり隠すのも面白い。ダイアン・アーバスの有名な写真「一卵性双生児」が典型例。写真の中の双子は、一人は僅かに微笑み、もう一人は僅かに眉をひそめている。これにより、似た二人の違いが際立ち、二人がアイデンティティに悩む様を表現した。

 最後のメッセージの解釈の自由度は、受け手(写真を見る人)にどこまで解釈を委ねるかということ。伝えたいことをシャープに表現する程、伝わりやすいが解釈の自由度は減る。写真を撮り手と受け手の共同作業と考えれば、受け手の解釈の自由度が大きいほど共同作業で得られるものも大きい。

 

 こんな風にメッセージ性を分解していくと、少し分かり易くなるし、言語化もしやすい。こうやって考えているうちに理解が深まります。また、人それぞれに色々な考え方があるでしょうし、それらを交換することで一層理解も深まるでしょう。あなたの考えも聞かせてください。