記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

カメラを買ったのに撮る物がない、それは当たり前。そうでない方が変態。

 ネット検索で「カメラ」と打ち込むと、「カメラ 撮る物がない」と検索ワードがお勧めされた。一眼カメラを買ったもののすぐ撮る物がなくなる、そういう人が多いのでしょう。

 試しにそのまま検索すると、「撮りたいテーマを決める」「何でもいいから撮ってみる」「人の真似をしてみる」などアドバイスが出てきます。「撮りたいテーマを決める」と「何でもいいから撮ってみる」は、真逆のことを書いているなぁと思う。それだけ解決策はないのでしょう。

 そうやって記事を読んでいるうち、ずっと写真を撮っている方がおかしいのではないかと思った。写真ブログを運営する私は変態なのだ。

 

 先日も桜の写真を撮った。桜の写真を撮るのは何度目だろう?

先日撮った桜写真

 

 人は、言葉で見たものを認識します。例えば、桜を見た人の頭の中は下のようになっています。

頭の中で認識する桜

 

あるいは、つぎのようになっています。

 

頭の中の桜 その2

 

 このように言葉で認識するので、後で人に説明しようとするとき「桜が綺麗で凄かったよ」としか言えません。また、色々な桜を見ても頭の中では「さくら」と細部が省略されて認識されていますから、桜の写真を何度も撮ろうとは思わないわけです。

 

 写真を何度も撮る人は、頭の中の認識が普通の人とは違います。つまり変態です。

 上の写真を撮ったとき、私は、桜の背景の斜めの線が良いなぁと思っていました。また、桜の花の左下のキラキラしたところがカッコいいと思ってます。

花の背景の斜め線と、左下のキラキラが好き

 

 売れるわけでも、褒められるわけでもないのに、何度も写真を撮る人はちょっとおかしい。物の認識の仕方が少し違う変態なのだと自覚しました。