記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

写真を撮ることは、読書感想文を書くこと

 写真を撮ることは、読書感想文を書くことに似ている。

 

 桃太郎を読んだ感想文はたいてい決まっていて、”桃から生まれることが面白い”、”キジ猿犬をお供にするのが面白い”、”鬼を退治するのがかっこいい”のどれかだ。

 でもよく考えたい、桃から生まれることの何が面白いのだろう?かぐや姫は竹から生まれるし、親指姫はチューリップから生まれる。人でないものから子供が生まれることを面白いとするなら、桃太郎・かぐや姫・親指姫の面白さは同じということになる。

 桃太郎の面白さは、竹でもなくチューリップでもなく桃から生まれることだ。桃の赤みがかったピンク色や果肉の柔らかさは、赤ん坊を連想させる。”川からどんぶらこっこどんぶらこっこと桃が流れてきた”というのは、実は赤ん坊そのものが流れてきたのではないかと思わせる点が、面白い。それに対して、親指姫の面白さは、チューリップの花の形は、本当に小さな女の子なら入っているんじゃないか思わせる点が面白い。

 お話の面白さがハッキリすれば、それを文章として書いていけばいい。桃太郎の面白さは”柿でもなくスイカでもなく桃から生まれるところです”でも、"お供に連れて行ったのは熊ではなく、キジ・猿・犬である必然性があることです”でも何でもいい、面白いと思ったポイントを外さないことが大切だ。もちろん、起承転結の構成にするとか、文章表現のテクニックは必要だ。

 

 写真を撮るのも、何かを見たときの自分の感想があって、その感想を写真として写しているのだと思う。題材(見たもの)・感想・表現の3つだと思うと、読書感想文と同じだ。

 

後書き

 Youtubeを見ていて、写真を撮ることは読書感想文に似ているとなんとなく思い、言語化してみました。言葉にする、言葉の分解能を上げるって大切だと思っています。思考は言語によって構成される、と言いますからね。

 これを書いていて、読書感想文を誰に向けて描いているのかを意識するのって大事なんだろうと思いました。Youtubeの人は、「誰にも向けず」と言っているように思えます。ただ楽しいから。Just for fun.


『雑談』思った事を口に出して写真にする。