記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

物撮はただキレイに撮るだけか?

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物撮りって、ただキレイに並べて撮るだけ?

(中略)

“自分らしさ”と“写真としての説得力”をぶつけ合いました。
憧れたのは、アーヴィング・ペンのように——
静物ひとつで人の心を動かす、そんな写真。

nt.suzukishin.jp

 

 「物撮りって、ただキレイに並べて撮るだけ?」の答えを、ここしばらく考えています。

 カタログ写真のようなモノを見せる目的ならば、ただキレイに撮るのが正解でしょう。もっと言えば、3Dで全方位見ることが出来て、見ている人が見たい角度で拡大したりできるのが良い筈です。

 一方で、撮り手の「自分らしさ」を加えることは、モノの見やすさ正確さを損なわせます。損なうものをどこまで減らせるのか、「自分らしさ」をどこまで加えるのかが、技量なのかもしれません。

 例えば、上の記事のアイコンのゲーム機の写真は、モニタ部に影が斜めに入っていますが、これが「自分らしさ」なのだと思います。モニタ部の見ずらい写真ですが、見ている人の頭の中には、モニタと言えばこんな感じというイメージがあり、脳内補完してくれますので、損なうものは少ないと言えましょう。

 

 物撮りは、撮り手のコントロールできる部分が多くて、その分、技量の差が出ますね。