記憶と記録

見えたことは事実ではなく自分というフィルタを通した記憶であり、さらに記憶は記録で上書きされる。写真とカメラ関係のブログです。

少し分かった「光をみつける」の意味

 

 「光をみつける」と、写真を撮るときによく言われる言葉です。この言葉ってどうも抽象的で、私は良く分かりません。今日、Youtubeで動画を見ていて少し分かった気になりました。

youtu.be

 

 「光をみつける」「光を探す」と言われると、私は、どんな光を探すの?って聞きたくなります。逆光を探せっていうことなの?それとも光が回った柔らかい光を探せっていう事なの?と。大抵の情報は、どんな光を探すのかについて教えてくれません。

 

 それもその筈で、光に良い悪いはありません。撮る目的に合った光・合わない光があるだけです。

 

 (カメラの設定の影響よりも)どんな写真が撮れるかは光の影響をうけます。上の動画のトマト(15分30秒あたり)は、光を変えることで、美味しそうに見えたり、美味しくなさそうに見えたり、エネルギッシュに見えたりします。

 だとすると、光を探す前に二つを意識する必要があります。

  • どう撮りたいか?(美味しそうに撮りたいか?それともエネルギッシュに撮りたいかなど)
  • どう見えると、そう見えるか?(例えば、トマトを見て美味しそうと思うのは、どんな外見的特徴からか?)

 

 まとめ

 「光」は、撮れる写真に大きく影響する。だから、「光」を自分の意図で選べれば気に入った写真が撮れる。

 では、どんな「光」がいいの?と飛びついてはいけない。そのまえに、どう見えたらいいのか知らないといけないから。例えば、美味しそうなサラダって、どんな風に見えるか知っておく必要がある。逆に言えば、どんな見た目だったら美味しいと思うか?ということ。

 見た目がイメージできていれば、被写体の見た目がそれに一番近くなるような「光」を選べばよい。「光をみつける」ってそういうことだと思った。

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